これが若者のすべてなのだと、わかった気がした。
目次
- 鳴りすぎないピアノ、だから刺さる
- “間”が生み出す切なさ
- 夏の「終わり方」をピアノが決めている
- なんでこんなにも懐かしいのか
- あえて主張しないという、強さ
2008年。
夏の終わり、汗ばんだ制服と部室のホコリ、帰り道のグラデーション。
そんな“終わりかけの一瞬”を封じ込めたような曲があった。
フジファブリックの「若者のすべて」だ。
あの頃、僕は高校3年生。
夏期講習の帰り、友達のiPodに有線イヤホンをつなぎ、片耳ずつ貸し合って聴いた。
やがて来る「夏の終わり」を、そのまま「青春時代の終わり」に重ね、それでも目を逸らさないようにしていた。
そして今、大人になってピアノを弾いている自分が、改めてこの曲を鍵盤上でなぞるたびに思う。
やっぱりこの曲のピアノ、天才すぎる。
鳴りすぎないピアノ、だから刺さる
「若者のすべて」のピアノって、いわゆる主役じゃない。
でもあの夏の温度とか、ちょっと空白ができた心にスッと入ってくる、絶妙な存在感をしている。
冒頭から入るピアノの音は、まるで蝉の鳴き声が遠くに薄く聞こえるような、そんな静けさだ。
最初のコード(音の重なり)は、明るすぎず、でも真っ暗でもなくて、
まさに「夕暮れ」の色そのもの。
不安と希望が一緒に押し寄せてくる、あの時間帯の感情を見事に音にしている。
“間”が生み出す切なさ
この曲が胸を締め付ける理由は色々あるけれど、最大の要因は“間”だと思う。
メロディ(旋律)は単純なのに、なぜかこんなにも胸が痛くなる。
その秘密は、歌のメロディにある。歌詞と歌詞との間に、隙間が多く存在するのだ。
「最後の~」間「花火に~」間「今年も~」間「なったな~」間……というように。
まるで、何を言うべきかと悩みながら話しているかのように。
そして、この隙間は、ピアノのフレーズが埋めている。
ピアノの音が、「言葉にできない気持ち」そのものなのだ。
だから、この曲でピアノの音が聞こえるたびに、僕たちの心は動かされる。
たとえばサビに入る直前に、そっと挟まれるあのピアノのひとフレーズ。
ほんの数音しかないのに、そのわずかな音が空気の色をガラリと変える。
それまで淡々と進んでいた流れに、ちょっとした切なさや不安が混じってくる。
「来るぞ…」ってわかっているのに、この瞬間はいつもドキッとする。
あの一瞬があるから、サビの言葉がより強く響く。
控えめだけど、とても大事な役割を果たしている音なのだ。
夏の「終わり方」をピアノが決めている
この曲でいちばん凄いのは、ピアノが「終わり方」そのものを演出していることだと思う。
ラストに向かっていくにつれて、音はどんどん静かになっていく。
そして最後の最後で、ピアノがふっと、抜け落ちるように消える。
こんなに切なさを醸し出していたのに、最後まで泣き切らせない。
聴く側に、ちゃんと余白を残して終わる。
それぞれの夏を重ねられる余白を作る。
これはギターじゃできないし、ドラムじゃ届かない。
ピアノの音が持つ、消え際の儚さだけが為せるわざだと思う。
なんでこんなにも懐かしいのか
あの曲を、たとえば今の若者が聴いても、やっぱり「泣ける」と言うだろう。
それはたぶん、コード(和音、音の重ね方)が感情をじわじわと揺さぶるからだ。
“明るい音”と“寂しい音”が交互に出てきて、その流れに乗せてメロディが運ばれていく。
この流れがもう、切なさ製造マシン。
しかもコードの動きがすごく自然だから、聴いていて無理がない。
心地良いまま、気づけば涙腺まで到達している。
本当に、よくできている。
あえて主張しないという、強さ
ピアノというのは、どうしても「映える楽器」になりがちだ。
でも「若者のすべて」のピアノは、目立たないことを選んでいる。
でもそれが逆に、“一番奥にある感情”に触れてくる。
聴く人によっては、「え、それピアノ入ってたの?」とスルーされてしまうかもしれない。
でもそれくらいでちょうどいい。
この曲は、「気づいた人だけが一生忘れられない」そんなピアノなのだ。


0件のコメント