ピアノ初心者がジャズ・スタンダードを弾く——この一文には、ある種の夢と不安が入り混じっている。夢は、カフェで何気なく「Autumn Leaves」を奏で、偶然居合わせた誰かが「おっ、いいね」と頷くシーン。不安は、左手が妙にぎこちなく、コードが濁った音で鳴り響き、結局「これってジャズなのか?」と自問自答しながら、楽譜の隅に意味不明な走り書きを増やすこと。

ジャズは、決して「黒魔術」ではない。だが、「クラシックピアノをちょっとかじったから、まあ弾けるでしょう」と思うなら、それは完全な誤算である。ジャズはコードの理論、リズムの柔軟性、そして何より「型にはまらないこと」が求められる世界だ——と世間では言われがちだが、実際のところジャズほど「暗黙の型」の制約が厳しい音楽も珍しい。自由に見せかけておいて、実は恐ろしく厳密なルールが支配しているのがジャズの世界なのだ。

1. 「自由」と見せかけて、がんじがらめなコードワーク

ジャズ・スタンダードを弾くなら、まずはコードを「和音」としてではなく「音楽」として聴く訓練が必要だ。どういうことかというと、多くの初心者はコードを「ドミソ」「ファラド」と機械的に押さえようとする。確かに理屈としては間違っていないのだが、それではジャズにならない。なぜなら、ジャズのコードは「響き」であり、そこには絶妙なニュアンスが求められるからだ。

しかし、それだけでは済まされない。ジャズのコードは「自由に崩していい」と言いながら、実際は「こう弾かねばならない」という暗黙のルールが山ほどある。Cメジャー7を弾くにしても、単純に「ドミソシ」ではダメだ。「こういう場面では9thを足すべき」「この進行ではルートを省略してテンションを入れるべき」「ベースと衝突するから、この音は弾くな」と、細かすぎる「お作法」が存在する。これらを知らずに「自由にやろう」と思っても、「なんかそれジャズっぽくないね」という冷ややかな視線を浴びるだけなのだ。

2. 左手は「コードの塊」、右手は「語る」——しかしその語り方に制約がある

ジャズピアノにおいて、左手はコードを支える「柱」、右手はメロディを語る「ストーリーテラー」だ。初心者がよくやってしまうミスは、左手が「コードを全て押さえなければならない」と思い込むこと。しかし、ジャズでは左手は最低限の音を押さえればいい。むしろ、すべてのコードをがっつり弾くと、音が詰まりすぎて「重い」演奏になってしまう。

プロのジャズピアニストの演奏を聴くと、左手は驚くほどシンプルだったりする。ルート音と7thだけを弾く「シェル・ボイシング」や、リズムをずらしてコードを配置する「コンピング」が基本だ。しかし、これもただ適当にやればいいわけではない。どこで「リズムをためるべきか」、どこで「裏拍を強調すべきか」、すべてにジャズ界隈の厳しいマナーが潜んでいる。そして、それを破ると「それ、ジャズっぽくない」と一蹴されるのである。

3. スウィングを感じる——「自由にずらせ」と言われながら、実は決まりがある

ジャズのリズムをものにするには、クラシック的な「正確な拍感」から脱却しなければならない。特に「スウィング」は、初心者にとって最も謎めいた要素だろう。楽譜では「♩♪」と書かれているが、実際には「タッカタッカ」という感覚で弾く。これは言葉で説明するより、ひたすらジャズを聴いて、身体で感じる方が早い。

しかしここでも問題がある。「スウィングは自由なノリだ」と言いながら、実際には「スウィングの揺らし方」には歴然としたルールがあるのだ。ジャズピアニストによって微妙な違いがあるとはいえ、「この拍のズレ方はあり」「これはダメ」といった暗黙の規範が存在する。そして、初心者が「適当にスウィングしてみました!」とやると、どうにも「野暮ったい」と言われることになる。

4. ジャズは「型破りに見せかけた型の塊」

ジャズ・スタンダードを弾くために必要なことは、「自由に弾く」ことではない。むしろ「ジャズにおける膨大なルールを叩き込んだ上で、その枠内で自由に振る舞うこと」である。

ピアノ初心者がジャズを弾くときに一番苦戦するのは、「型破りのための型を学ぶこと」かもしれない。「ジャズは自由だから」という言葉を真に受けると、途端に路頭に迷う。自由なようでいて、実はクラシックよりもがんじがらめの世界。これを受け入れ、楽しめるようになったとき、初めてジャズ・スタンダードの世界は開かれるのかもしれない。

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