大阪・南港のストリートピアノが、わずかな炎上を機に一瞬で撤去された件は、音楽活動における“撤退判断の鮮やかさ”を私たちに教えてくれました。著作権に関する問題を含むこの件、表向きは「法的リスクの回避」だったとしても、音楽活動においては、このような「引き際の見極め」こそ、実は非常に高度な判断であると言えます。


「逃げ足」の重要性:合理的判断力と自尊感情の維持

ピアノ演奏において、自分の体や生活リズム、感性に合わない楽曲やスタイルにいつまでもしがみつくことは、かえって音楽に対するモチベーションを摩耗させます。

たとえば、ある研究(Grit, Duckworth et al., 2007)では、粘り強さ(grit)が成功に寄与する要素であるとされましたが、それは「意味のある目標に対して」の話です。逆に言えば、「合わない」「続ける意味が薄い」と気づいた段階で引くことは、粘り強さの放棄ではなく、選択と集中の結果なのです。

また、心理学的にも「自己効力感(self-efficacy)」を保つためには、「小さな成功体験の積み重ね」が必要であるとされています(Bandura, 1977)。つまり、「やってみたけど違った」という判断を素早く下し、別の活動での成功体験に繋げることは、自己効力感を保つためにも合理的です。

粘り強さの意義:技術の定着と表現の深化

一方、当然ながら「続けること」にしか生まれない深みも存在します。とくに音楽技術の習得においては、一定の「試行錯誤」「停滞の受容」が必要不可欠です。

技能学習における「プラトー(plateau)」現象——つまり上達が一時的に停滞する期間——は、多くの学習者に共通して観察される段階です(Fitts & Posner, 1967)。このとき、あきらめずに続けることで、脳内の神経回路が再編成され、新たな理解や技術的な飛躍に繋がることも知られています(Hebbian learning)。

また、ピアノ演奏という表現活動においては、「粘り強く向き合うこと」でしか見えてこない“音の奥行き”や“感情の質感”があります。即時の成果が出ない中で、丁寧に耳をすませ、自らの演奏と対話する時間こそが、アーティストとしての礎を形づくるのです。

相反する資質のバランス:状況判断と自己省察の鍛錬

結局のところ、「逃げ足」と「粘り強さ」は二項対立ではありません。むしろ、自分にとって何が「意味のある挑戦」であり、何が「やめるべき徒労」かを見極める、メタ認知的判断力が求められるのです。

ピアノに限らず、学習や仕事、対人関係においてもこの「見極め力」は核心的です。ときに潔く退き、またときにじっと耐える。その柔軟性こそが、長いキャリアを支える本当の強さなのかもしれません。

まとめ

ストリートピアノの一件から見えるように、「撤退する力」もまた、音楽的な判断力の一部です。しかしそれは、「諦め」ではなく、「戦略的な選択」。その選択が正しかったかどうかは、結果ではなく、選択した後の「新たな音との向き合い方」によって証明されていくのだと思います。

カテゴリー: コラム

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